ここで科学者たちが戦い、そして散っていった。「ペストの砦」の異名を持つロシア「アレクサンドル砦」

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 弧を描く磨り減った石壁には波が打ち寄せ、屋上は草で覆われている。「アレクサンドル砦(Fort Alexander)」はその外見からでも不気味な歴史が窺える、そんな場所だ。

 ロシア、サンクトペテルブルク付近の人工島に築かれたマメのような形の砦(とりで)は、1899年から1917年まで、ペストの研究を行う施設であった。

 科学者たちがペスト研究を続け、職員2名が命を落としたこともあるそこは、今や”ペストの砦”と呼ばれるようになっている。


Russia: Drone captures ghostly abandoned ‘Plague fortress’ from Tsar Alexander I era

もともとは軍事拠点として建設されたアレクサンドル砦

 砦は砂とコンクリートと花崗岩の上に建設され、完成まで7年を要した。本来、戦略的に重要なフィンランド湾の軍事防衛拠点として築かれたものであるが、実際の戦闘で使われたことはない。

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真の戦いは壁の内部にあった。ペストの研究所として利用された砦

 砦の戦いは壁の内部で起きていた。ペストとの戦いである。

 1894年、ペスト菌が発見された。アレクサンドル砦に黒死病を研究し、そのワクチンを作成するための研究所をロシアが作ったのは、それから数年後のことだ。1899年より砦はペスト研究所として運用されることとなる。

 1907年の小論には、研究所は血清を抽出するために動物にペスト菌を接種したとある。実験動物には、ウサギ、モルモット、猿、馬すらも利用された。

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ペストに感染し科学者2名が亡くなる

 また、その小論によると、1904年、研究主任のVI Turchinovich-Vyzhnyevichがペストに感染し死亡。1907年にもまた別の研究員Emanuel F. Schreiberが病に倒れた。

 彼は3日間病床に臥せり、肺ペストであると自己診断した(WHOによれば、肺ペストの発症から24時間以内に処置をしない場合、ほぼ確実に命を落とすという)。彼の遺体は菌が拡散しないよう砦内で荼毘に付された。
 
 Schreiberの死から数日後、さらにLev Vladimirovich Podlevskyがペストに感染。しかし彼はいくぶん運がいいことに腺ペストであった(こちらはリンパ節に感染するが、WHOによれば、放置された場合の致死率は30〜60パーセントである)。

 Podlevskyには開発中だった血清が投与され、どうにか一命を取り留めた。

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砦の終焉。現在は観光スポットに

 この隔離された研究所は後にコレラや破傷風といった他の感染症の研究にも利用された。

 だが1917年に閉鎖される。そして今度はロシア海軍が倉庫として利用し、1980年代に完全に閉鎖された。それ以降、ここで違法パーティやレイブ会場として利用するものが増えた。

 だが現在では何も不法侵入という危険を冒さずともいい。ボートツアーが組まれており、興味があればお金を払って観光することだってできる。

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References:wikipedia / samoupravlenie / amusingplanet/ translated by hiroching / edited by parumo
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